Our Thoughts

私たちの想い

家づくりへの想い

家造りをして「しあわせだ」と思えるにはどうしたらいいのか?思い始めてから長い人は、何年も考える家づくり、それほど大事です。

少しだけ私の事をお話しても宜しいでしょうか?
私は昭和32年3月20日生まれです。
十日町市下条漉野の東下組小学校卒業(平成20年廃校になりました)
下条中学校東下組分校卒業(20年数年程前に生徒が少なくなり本校に合併)
もう、小学校も中学校も母校というものは無くなりました。
十日町実業高校を昭和50年に卒業後、(株)春日工務店に入社し同時に十日町職業訓練校大工科(夜間)に入学、同校を3年後卒業しました。
大工ということで入社したのですが、1年半後は型枠大工に・・・。
大工の仕事をどうしてもやりたくて3年で退職しました。
その後、叔父が経営する工務店に11年勤務した後、独立し現在に至ります。

水落 靖生 代表取締役

辛い時もありました。

私が生まれる前には、家族に病人が続き、山や田畑を売って病院に掛かっていたそうで、高校をなんとか卒業させてもらい、就職しました。生活はかなり苦しく貧乏でした。
生活保護を受けた時期も・・・。寒さが身にしみる茅葺の我が家でした。冬は仕事がなく、出稼ぎに10数年ほど出ました。
「もう貧乏は嫌だ、なんとかしたい・・・」

「よーし!」と思ったのは21歳の時でした。この冬だけは会社から離れて、おもに関東へマンション内装の請負で働きに出ました。
3年や4年しか仕事をしていない若造ですから解らない事も沢山ありました。でも、負けるわけにもいかず、知らないともいえず、朝早く、お昼休み、夜みんなが帰った後にこっそりと仕事を盗みに行ってましたね。(笑)

タイミングは大切です。

おかげ様で我が家の生活も少しずつ楽になり、「人生には波があるのかな」と感じるほどでした。こんな時です「家造りはタイミングと決断が大事だ」と思い、私は両親と相談をし、大きな住宅ローンを組み、憧れのマイホームを建てたのです。

ほとんどが残業と休日で造り上げたと言ってもいいと思います。(とても頑張りました。今は体力的に無理です・・・《笑》)
2階は未完成のままの状態で引っ越しをしたのですが、それでも夢にまで見たマイホームでしたから、嬉しくて両親と3人でお寿司と鍋でささやかなお祝いをしたことを今でも思い出します。
自営をするようになった理由は、長男が1才半になり、2人目の子供を考えていた頃またまた「生活に余裕がなくなる」と考え、妻にも相談し、かなり悩みましたが結論は「 一念発起」。
いちかばちかの状態で自営することになりました。

天は味方してくれました。

私の会社は、平成2年1月1日より「水落住建」として個人経営からスタートし、平成17年3月には「有限会社 水落住建」と法人化致しました。
現在は、13名の社員で営業しております。

開業当時は、湯沢のマンションブームだったこともあり、おかげさまで、会社の土台作りが出来ました。それと合わせて地元の建設会社が契約した住宅を下請けで、1年間に8~13件くらいの住宅を建てさせて頂いていました。

私達スタッフ一同「皆様が、楽しみながら家造りをして頂き新しい家で必ず幸せに暮らしてほしい」このような思いで家造りをしています。
そのために、それぞれのお客様に合った計画を真剣に話し合いながら決め、あわてずに、目標が決まるまでは、行動はしないようお勧めしております。
「家づくりって何なのか?」
「どんな家づくりをすれば家族が幸せになれるのか?」
そんなことを考え続け、極めた家づくりは・・・・

「価格の高い家=家族が幸せになれる家」ではない、という結論でした。

だから私たちは、信念を持って、子育て世代のための「安くていい家」をつくっています。
子育て世代は、ただでさえ、お金のかかるときです私は、「家づくりは、家族が幸せになるためにある」といつも思っています。
「何を当たり前のことを・・・」と思われるかもしれませんが、悲しいことに、家を持つことですべての人が幸せな人生を過ごしているというわけではないという現実があります。

なぜ、家づくりで不幸になってしまう人が多いのか?

「本当に必要な家」ではなく、「必要以上に豪華な家」を建ててしまう人が多いからです。
家は、人生を豊かにするためにあるものです。大切な家族が安心できて、家に帰ってくるとほっとできて、「なんとなく幸せだな」と感じられたら、それは最高の家だと思います。それが家の役割だと私は思います。
担当営業マンは、どうしても高い家をすすめます。自分の売り上げに関わってくるので、彼らも必死です。
ただ、どうか家を持つことの意味だけは、いつも忘れないで欲しいと思います。
「家は家族が幸せになって、思い出をつくるためにある」ということです。それさえ、忘れなければ、家づくりで不幸 になることはありません。

息子と2人で

おかげさまで、私たちの活動に共感して頂くお客様が増えて、忙しい毎日を過ごしております。これからも「親子2代であなたのお家を守り、十日町で一生お付き合いできる工務店」として努力してまいります。

あなた様が「ちょっと相談が・・・」とか「教えてほしいんだけど・・・」というようなことがあれば皆様の方から是非ともお気軽にお声をかけて頂きたいのです。メールやお電話でも結構です。

きっと、何かのお役に立てると思います。家造りは不安や、心配が付き物です。不安や、心配な事があれば私、水落までご連絡を下さい。
勉強してきた知識、今までの経験、技術を出し切り全力でお手伝い致します。社員、協力会社さんと共に、お客様の幸せを願って一生懸命頑張ります。小さな工務店ですが、チームワークが最高です。

二代目 水落雅士

平成2年11月29日新潟県十日町市下条生まれです。
小学校、中学校ともに生まれ育った地元の学校です。

1990年(平成2年)11月29日生まれ。
十日町市立下条小中学校卒業、県立十日町総合高等学校を卒業したのち、
新潟工科専門学校へ進学。同校卒業後、長野県の工務店で3年間の経験を積み、
2014年から水落住建へ入社、現在に至ります。

代表である父は大工をしていたので、物心つく頃には父の仕事に興味を持つようになりました。
小学校の自由工作では兄と一緒に余った木材でいろいろ作っていたのを覚えています。

水落 雅士 取締役

私が中学2年生の時、中越地震が起きました。
我が家もかなりの被害を受けました。家の棚は全て倒れ、しばらくは家の中に入れない状況…。数日間は家の前の広場にテントを張って生活していました。
そんな大変な状況の中でも、父は困っているお客様のところへ行き、仕事をしていました。
そんな父の働く背中を見て「自分もこうでありたい!」と思うようになり、本格的に建築の道へ進むことを決めました。
高校の選択授業では建築関係の授業を選択し、卒業後は建築の専門学校へと進み、在学中に2級建築士の資格を取得しました。

専門学校卒業後は「他人の釜の飯を食ってこい!」という父の一声で長野県の工務店に3年間お世話になりました。
社会人としての知識や建築に関する基礎知識など、いろいろと教えていただきました。
その中でも、当時の上司(私の恩師)に教えていただいた話で私自身、すごく考えさせられた話があります。

上司がまだ別の会社にいる頃の話で、バブル真っ最中の話です。
バブル期の家づくりは、とにかく高額の住宅ローンをお客様に組んでもらい、超大豪邸を建てるのが当たり前。しかし、数年後バブルが崩壊し、住宅ローンを返せなくなった人たちが建てた住宅を売りに出し、何軒もの空き家がでたそうです。
上司が担当したお客様の中にも建てた家を手放し、その後の生活がどうなったのか分からなくなってしまった人がいると言っていました。「そんな家づくりは絶対違うよなぁ…」と悲しそうに言っていた顔が忘れられません。
家づくりで不幸になる人を絶対に出したくない!
私は強い想いを持ち十日町に帰ってきました。

水落住建に入社してから家づくりアドバイザーとして沢山のお客様と出会いお話をさせて頂いています。
その中で感じたことがあります。
みなさん、地元の十日町が好きだということです。

十日町市は年間1000人前後の人口が減っている地域です。
それでも、十日町が好きで十日町に家を建てたい!と思っている子育て世代の方は沢山います。
私自身がまさにそうで、地元が好きで十日町に戻ってきた子育て世代になります。
同じ境遇の人たちを心から応援したい。

想いの沢山詰まった家づくりを楽しんで欲しい!
そんな想いで家づくりのお手伝いをさせてもらっています。
父から受け継いだ「あなたのお家を守り、十日町で一生お付き合いのできる工務店」として、これからも社員・協力業者様一丸となってお客様の大切な家づくりをしていきます。

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